これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。
“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”
エジプトでは猫(バステト)、犬またはジャッカル(アヌビス)、ワニ(セベク)、ハヤブサ(ホルス)、トキ(トート)、牛(ハトホル)、フンコロガシ(ケプリ)等が動物神として尊敬された。これらの動物神の上にあるのがラーで、ラーはこれらの動物たちを創造した創造神であった。動物神にはそれぞれの役割があった。例えばトートは書記や学問の神として、さらに時間を管理する神(カレンダー計算や季節ごとに異なる日の出と日の入りの時間の変化を記録し四季の変化を告示する)として信仰された。これらの動物にそれぞれの役割が与えられたのは実務または担当を通して経験的に発見された適性に基づくのであろう。たとえば王はトートという女が事務や時間管理で優れた仕事をするのを見て「お前は何という動物だったのか」と聞かれ、トートは「私は人間になる前はトキでした」と返答した。それで王は前世がトキである者たちを呼び集め、他の者より優先的に歴史的記録や学問や時間管理の仕事をさせると、成る程彼らは喜んでその職務を担当し立派な仕事をした。同様にアヌビスという男は集団を統率することや刑務所で囚人を管理することに才能を示したので、王が「お前の前世は何だったのか」と聞くと「私は犬でした」と答えた。そこで王は前世が犬だった者に集団統率の任務を与えると彼らは立派にその仕事をした。このようにエジプト古王朝の時代には人間は自分が前世でどんな動物だったかを率直にカミングアウトするのが一般的だったのである。
動物神の中でフンコロガシが再生と創造を支配し太陽の運行を司ると考えられたのは奇妙だが、ケフリという男が再生と創造に関わる仕組みを熟知していて太陽の運行の法則を理論的に説明したからだろう。ケフリは前世を聞かれて自分がフンコロガシだったと答えたがさぞやかっこ悪かったことだろう。然し彼の元型は人間で一定期間フンコロガシだったがタイムアウトして人間に再生したのである。だからすべてのフンコロガシにケフリと同じ能力がある訳ではない。彼にフンコロガシの罰を科したのは人間にとって悪魔即ちラーである。
しかし誰もが素直に王の質問に答えた訳ではない。イギリスは帝国主義の時代3C政策によってカイロ・カルカッタ・ケープタウンに植民地を作ったが、いずれも金の産出地であった。モートは金採掘のためにマゼランから地球に連れて来られた。だからモートもエジプトにいた筈であり将来は出エジプトのメンバーになる運命だった。しかしモートが人間になって金採掘エンジニアの才能を認められ、生前の種族を問われても ”I don’t know.” と答えた。素性を明かさないのが一族の固い約束だったのである。
アメンホテップ4世はそれまでのアメン・ラー信仰を否定し、アテン神信仰を掲げて宗教改革を唱え、首都テーベからテル=エル=アマルナの新都アケトアトンに遷都した。また「アテン神を尊ぶ者」を意味するイクナトーンに改名した。アテン神こそ人間を創造した神である。しかし次王ツタンカーメンによってアメン・ラー信仰へ復帰しエジプトにおいてアテン神を主神とする人間中心主義宗教は成らなかった。セト神はツチブタであるが軍神として名を高めラー信仰に貢献した。
同じことはギリシャでもあったがエジプト程オープンに個人の前世が語られることはなかったのではないだろうか。ただしデルポイのアポロン神殿の入口に「汝自身を知れ」の格言が刻まれていたし、グノーシス哲学は真の知識であるソフィアの獲得を追求した。またオリンポス12神のNO.1はゼウスでありNO.2はポセイドンであったがゼウスの元型はタコでありポセイドンは鯨であるように、ギリシャの神々には海の生物が入っていた。海の動物と陸上の動物が同じ創造神とは考え難いからアメンとアトンの他に少なくとも少なくとももう一つ別の神がいるのではないだろうか。アポロンは弟ヘルメスと仲が悪かった。それはヘルメスが嘘つきだったからで、イエスとヨハネの対立に似ている。「友人T」の項で映画「オッペンハイマー」について書いたが、アメリカの原爆開発で重要な役割を果たしたもう一人の科学者フォン・ノイマンがこの映画に一切出て来なかったのは何故かというと、ノイマンはオッペンハイマーが嘘つきなので嫌っていたからである。ノーラン監督はその事を知っていたのだろう。ヨハネは世界を嘘だらけにしたかった。このように人間と他の動物とは常識が違うのである。ヨハネ書にはアーメンが繰り返し出てくる。イエスが教えたとされる「主の祈り」を
「天におられる私たちの父よ、み名が聖とされますように、み国が来きますように、み心が天に行われるように地にも行われますように.....アーメン」
と言えば「父」とは「アメン・ラー」になる。
私がこのブログでポアのことを書いたのが世界的に関心を呼び、ノイマンにも伝わって最近彼が公の場に八本足の姿で現れたらしい。それが霊界で大きな反響を呼んだようである。ポアの実例が映像で開示され、見た者にショックを与えた。ノイマンもオッペンハイマーもユダヤ人だったから二人ともアメリカのユダヤ教で葬儀したのだろうが、オッペンハイマーは元来イカ族だったので八本足にされても怒りも騒ぎもせず受け入れただろう。ノイマンは生きている間死後のことをしきりに不安がっていたことが知られていたが、実際その通りだった。我々には裁きでこんな非道があっていいのかと憤懣を禁じ得ないがラー神支配下の世界では問題ないことなのである。今日イエスがカビナントによる裁きの実態を知っていても彼にはそれを差し止める権能はなかった。Lord of the earth の称号はイエスキリストであるとされるが間違っている。
”また私は、天からの声がこう言うのを聞いた。「書き記せ、『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである』と。 御霊も言われる。『しかり。その人たちは、その労苦から解き放たれて安らぐことができる。彼らの行いが、彼らととも について行くからである』(ヨハネの黙示録 14:13)”
このように反面教師ヨハネはポアはキリスト教徒に2025年6月以降起らないことを予言していた。しかし仏教徒は安心出来ない。
ユダヤ人にはエリート意識があったと言われるが、それは彼らが人間の元型を持つ者の集団であったということであろう。神はこの小さい国に人間をかき集め、イスラエルという純粋に人間だけの国を作るつもりだった。エジプトにいたカビナントは動物的な勘で(特にモートには優れたインテリジェンスの能力がある)そのことを察知し、三者相談の上行動を開始した。彼らはエジプトから帰還した夢解きのヨセフの子孫を装って混入し、元からいるイスラエル人と混交した。それ以来外見では誰が本物か偽物か見分けが付かないが流入組は自分たちが何者かを知っており秘密にしていた。ユダヤの宗教も本来はアトンを祀るものであった筈であるが、流入組がレビ人になって律法も書き替えられた。かつて出エジプトの一行がパレスチナまで目と鼻の距離まで来ていながら足踏みし40年ばかり流浪したとされるのは、彼らがニセ者と見破られないよう用意周到に全員でイスラエル人の言語と習慣を身に付ける訓練をしたのではないだろうか。男は漏れなく割礼を受けたであろう。美女は喜んで受け入れられることも計算に入れていた。モートの女には美人が多い。
Youtube にエルサレム在住でユダヤ教超正統派のナトーレイ・カルターと呼ばれるわずか5000人ばかりの原理主義者のことが出ていたので Wikipedia を見た。私が興味を引かれたのは彼らが街頭で示威行動している写真で、プラカードに “Zionism and Judaism are diametrically opposed.” と書いてあった。Wikipedia によれば彼らは「救世主の到来までユダヤ人がイスラエルの地で主権を回復することを厳しく禁じられているという信念の下、イスラエル国家の平和的解体を主張している」そうである。だから彼等はシオニストであるイスラエルの現指導部に対して抗議し、彼らを原理主義者たちは同じJudaistとは認めないと言っている。目下交戦中のイスラエル対イラン戦争には絶対反対の立場であろう。しかしこのブログで私は “Zionism and Judaism are the same and hebrewism is opposed to them.” と言っているのであるが、余計なお世話だろうか。一体これらの原理主義者は現存するユダヤ教とは別種のユダヤ教を持っているのだろうか。ロシアを見て欲しい。共産主義革命を指導したレーニンもトロツキーもユダヤ人だった。今日もロシア経済を支配する財閥オルガリヒはユダヤ人資本である。しかしソビエト時代も現在もロシアにはユダヤ教もシナゴーグもなく、彼らは皆ロシア正教徒である。ソビエトの時代ユダヤ人は反ユダヤ思想によって弾圧されたというより上からの強制的なユダヤ教排斥の動きがあったのではないだろうか。ロシア人はカビナントに冒されたユダヤ教の欺瞞を見抜いていたのである。民主主義はみんな勝手にやれということだが一党独裁の共産主義はこういう改革をやるのに都合よかった。
ユダヤ教はもう終わったと言われている。あんな特異なむさ苦しい衣装は脱ぎ捨てて、ユダヤ教徒と同じように豚肉と海産物を食わず割礼し偶像崇拝しないという三つの類似条項を持つイスラム教に改宗するべきではないだろうか。地球にやって来た人間は6億で月のモノリスに記録されているらしい。しかし今もってあんな格好をしているのはユダヤ教原理主義者だけである。三つの類似条項のうち偶像崇拝禁止は誤りで、数多ある仏教寺院のうち目黒の五百羅漢寺は救済の寺であるが、このことは余程霊的感性の秀でた者にしか理解できないだろう。カビナントが何故偶像崇拝を禁止したか。それは自分たちにとって都合が悪いという逆転の発想である。イスラムへの改宗に関して最近ウエルベックの「服従」を読んだ。これはイスラムに改宗したフランス人がフランスの大統領になるという仮想的近未来政治小説であるが、ネガティブな読後感が残って余り釈然としなかった。
ヨハネはイエスを「人間を見抜く者」とみなしていた。イエスはユダヤ人の中に人間ではない者が入り込んでいる事を知っていた。ヨハネはイエスが人間と人間でない者を宗教で区分けしようと計画しているのだと察知していた。もしそうなったらこれまでの苦労が水の泡になるから、アメン・ラーを信奉するグループはイエスに反逆する策を練って実行したのだった。前項でヨハネ書に対し「世の終わりの日に墓から死者がぞろぞろと出て来るのが復活だとも言っているがそんなことが起こる訳がない」と書いたが間違いだったかも知れない。ペテロの手紙に「主の日は突然やって来る」とあるように、「世の終わり」とは文明とともに大陸が消滅したムー、レムリア、アトランティスのような大変動であるという固定概念が私の頭にあったが、ヨハネは時代の変革も「世の終わり」の一つと捉えていた。私は霊界にいる人間たちがしきりと「脱出」を悲願としていることを聞き知っていた。「世の終わり」を天変地異と関連付けて私は「脱出」とは地球を離れて母星に帰ることだと思っていた。もし人間が選択を間違い、神の意志を読み取らないままいつまでも悪魔に付き従っているなら、神は諦めて地球を見捨てるかも知れない。その時はこれまで以上の大変動があるだろう。
しかし我々が住む現在の地球はあらゆる生命を養うのにこれ以上なく恵まれた条件を具えている星であり、簡単に見捨てる訳には行かないのである。子供たちは生まれているしAIは開発途上にあり、宇宙旅行の夢も実現していないし、太陽は高温期に入り地球温暖化は進行しているがまだ気候的末期症状という程ではない。だから人間にとって彼らが言う「脱出」とは悪魔の定めた秩序から抜け出すことだったのではないだろうか。何千年もの間人間の置かれた立場を考えるともっと早く誰かがそのことに気付き改善を主張すべきだったのである。イギリスでは人間は水も自由に飲めなかった。食べ物は奴らの残り物を食べさせられた。集会があって解散すると誰かがいなくなって探すと骨だけが残されていた。動物が人間になって一生を終わったが、まだ残存期間が残っていて、元の動物、例えば豚の顔をした人間が霊界にいる。彼らは人間の女を犯す。人間が持ってくる金は取り上げられる。人間には火を使う自由がなかった。これまで人間が置かれたのはそういう場所だった。
所が実際に人間が自分たちだけのコミュニティーを作ってみると余りに数が減っていることを発見した。日本の人口について人間と動物の数を報告する役目を指名されたのは空海で、彼のレポートによれば人間はもっと多い筈だった。一体誰が空海を現況報告の担当者に指名したのだろうか。これでは泥棒に店番させるようなもので、本当のことを報告する訳がない。彼らの Appraisal のやり方は上・中・下・下々の4区分で、下々(ゲゲ)の評価だけが助かるという逆転の発想である。ゲゲゲの鬼太郎とはこのことで、目っかちで前髪を垂らした日影者が助かるのである。仏教は点数の特に低い者を助けることを事前に知っている者がいた。有名な作家である。彼は老後に瀬戸内海のある小島でエプスタイン並みの破廉恥行為に耽溺した。そして予想通り死後の審査にパスしたのはいいが、自分の姿が亡霊のように見る影もなく劣化しているのを見出して愕然とした。「やっぱりキリスト教を真面目に信仰するんだった」と後悔しても後の祭りだった。作り話と思うだろうか。
昨年の夏頃だっただろうか。夢うつつの時に「ナイロビでこれから各国の代表を呼び集めて集会が開かれる」と言われたが何のことか分からなかった。多分人間がこれまでの束縛を逃れて自分たちだけでコミュニティーを作ることが認められたことについての伝達と、今後の対応を話し合う場が設けられたのだろうと思う。そして翌年の7月4日に人間が決起して旧体制に挑戦することが決まった。2025年7月4日、アメリカの独立記念日であるが、これは米大統領の協力を呼び掛けるメッセージだったのではないか。ご存じの通り今年の July 4th はトランプ大統領のタリフ問題で世界は歴史的大混乱になったが、こんな事態になるとは予想外だったのではないか。アメリカでは体制が整わなかったと思う。しかし神々はこの日に備えて準備していた。ナイロビの会議以来多くの魂が復活したのである。
永遠に栄あれや祖国フランスよ、戦いに破れて我今帰り来る
悲しみは胸に迫り来て、望みはや失せたり
されど我死すとも、祖国危うき時来たれば、
勇みて進み行け、我も墓を出で来て君に従い行かん
永遠に栄あれや祖国フランスよ、我今この地に屍をさらすとも
祖国危うき時来たれば、君は我が墓越え勇みて進み行け、
十字を胸に飾りて君に従い行かん
中学3年生の時の音楽の授業で習ったのでどうしても一部思い出せないが、音楽の先生が「これはフランス革命の時に兵士が歌った歌だ。『我』とは戦死者のことで『君に従う』のは死者の魂だ」と説明したのは覚えている。歌詞もメロディーも正調ラ・マルセイエーズとは随分違っていた。この歌で「我も墓を出で来て」と言うのがヨハネの言う「死者の魂が墓からぞろぞろ出て来る」に該当するであろう。人間の「脱出」が認められたことがヨハネにとって世の終わりだった。序に言えば、ウエルベック「服従」ではイスラム教徒がフランスを指導することになっているが、この歌では世の終わりにフランス人の魂は「十字を胸に飾りて」復活することになっている。
ともあれ人間の復活はあちこちで見られた。ヤモリはほとんどみんな人間になって復活したそうである。広島や岡山のように、人間の残りが少なかった地方ほど復活する数は多かった。歴史上の有名人の顔も多数現われた。群馬は敗勢つづきだったが一矢報いた。イスラムも味方した。しかしドイツはポツダムで敗北し東南アジアでも敗退した。日本では勝たなくても引き分けでもいいという安心感があった。なぜなら大勢が不利になっても逃亡し負傷者を味方の陣地に連れて帰れるからである。
今年の6月に見た鮮明な夢は映像の輪郭がとてもはっきりしていた。水量の多い川があり護岸用の高いセメントの壁があった。私は川の反対の岸にいて一人の女が5m位の長さの木の梯子を川に下ろすのを見ていた。梯子が川底に着いて固定されると同時に川から白い胸当てを付けた2本足のロボット兵士が三人続々と危なげなく梯子を這い上がって来て、梯子段を登り切って河岸の壁から地面に着くと軽快な足取りで建物の蔭に消えた。右側にいてそれを見ていたもう一人の女が梯子の片方を取って川につき倒そうとしたが左側の女が梯子のもう片方を掴んで抵抗した。人間の作ったロボットが水から上げって来る訳がなかった。場所は二子玉川のあたりだと思う。人間はこんなロボットを相手に戦っていたのか。彼らは既にこんなに進歩したテクノロジーを持っていたとは驚きである。私が戦闘ロボットに気付いてから情報がいくつか伝えられた。千葉の外房に潮干狩りに行っていた家族が突然海から上がって来たロボットに取り巻かれ連れていかれたそうである。由比ガ浜にも出て来るらしい。関西人もこのロボットを知っているらしい。ハワイやトロントでは二本足だから人間の味方だとう触れ込みがあってすっかり騙されたらしいがとんでもない。ナノワイヤーやポアについて対策が講じられたが「我々が負けたわけではない」という彼らの強気の理由はこれだったのではないか。
Youtubeで「世界侵略ワシントン決戦」という映画を見たが只の娯楽エンターテイメントではなさそうである。ワシントンDCの上空に巨大なUFOが現れ、銃で武装したロボットがUFOから続々と瞬間移動して地上に降りて来る。地上から人間もロケットで迎え打つ。すると黒煙を上げるUFOから巨大なタコが足をばたつかせながら現れる。タコが究極の人類の敵であることはロシアでも知っているのではないか。